私は大阪市で生まれ、高校卒業までずっと大阪市内で暮らしてきました。阿倍野区の病院で生まれ、住んでいた場所も大正区、港区、東住吉区、住吉区と、ずっと市内南部から離れませんでした。大正区と港区に住んでいた頃の記憶はなく、一番長く住んでいたのは東住吉区です。区内で引っ越しもしましたが。
特に馴染んでいた鉄道路線と言えば、なによりJRの阪和線。まだ大阪市内が地平路線だった頃からずっと使っていました。通っていた幼稚園は南田辺駅のすぐ近くにありました。その頃は、住所で言うと「南田辺」、駅で言うと鶴ヶ丘が最寄り駅でした。また、地下鉄の御堂筋線長居駅に自転車で行くことも多く、近鉄南大阪線の針中野もたびたび利用していました。
その後、小学校3年生のときに「田辺」の住所に引っ越して、それからはJR最寄り駅は「南田辺」になりました。一方地下鉄御堂筋線は遠くなり、谷町線田辺駅が近くなりました。近鉄の最寄り駅は一つ隣りの今川になりました。この3路線に囲まれて住んでいた時期が一番長かったと思います。
通っていた小学校、中学校、高校が平野にあったのですが、ずっと谷町線で駒川中野から平野まで1駅だけ乗って通っていました。そういうわけで、大阪市営地下鉄には日々馴染んでいました。
高校の途中で住吉区に引っ越したのですが、地下鉄の駅が遠くなりあべの橋行きのバスを利用していました。御堂筋線と南海高野線に挟まれた地域だったのですが、ちょうど真ん中あたりで駅が少し遠く、バスの本数が非常に多いところでした。
その後、高校を卒業してすぐ東京に来たのですが、それからというもの市営交通をとりまく環境は大きく変わってきました。特に、消費税変更の際に初乗り1区の運賃が200円から180円へと値下げされたのですが、その頃実家に帰っても地下鉄を利用することはほとんどなくなり、まして1区だけで利用することは皆無だったので今でも200円の印象が抜けきりません。バスは実家に帰るときよく利用するのですが、こちらは逆に(というか順当に)200円から210円に値上げされました。ほかにも、バス同士の乗り継ぎ運賃が、ICカード利用時のみの適用となり、現金払いの際の乗り継ぎ券の制度は廃止されてしまいました。
地下鉄でも、つい最近谷町線のダイヤが変更になりました。それまで、昼間は全区間運転(大運転)の大日~八尾南、中心部のみ(小運転)の都島~文の里がそれぞれ10分間隔、両社が重なる部分では5分間隔の運転となっていました。東京で言うと、京浜東北線や中央総武緩行線のようなものですね(大宮~大船と南浦和~磯子、千葉~三鷹と津田沼~中野)。それが、ダイヤ改正によって昼間の全列車が大日~八尾南、7.5分間隔での運行となりました。末端部では増発、中心部では減便という形になります。
先に書きましたが、私の通っていた学校は平野にあったため、増発の恩恵を受ける形となりました。もっとも、とっくに卒業してしまった私は何の恩恵も預かっていないんですけどね。なんというか、間をとった折衷案となったわけですが、御堂筋線ほどの利用者があるわけでもないので中心部7.5分間隔でも大した問題ではないのでしょう。それよりも、末端部利用者への利便性向上の方が遥かに大きいのでしょうね。実際、行先を見て「あぁ、次は文の里行きか」ということもなくなったわけですから、とにかく来た列車に乗れば良いんですからね。ほかの7.5分間隔運行の路線との接続も均一になったでしょう。
さて、とにかく気が付けば民営化が目前、4月と迫っていたわけです。名称はシンプルに大阪メトロ。何の疑問の余地もないところでしょう。東京メトロの先例があるので「真似した」と言われるところですが、世界標準になった、というところでしょう。このメトロという呼び名についてはまた別で書きたいと思います。
ロゴマーク、帯をMの字状に巻いた立体的なものとなっています。なんでも、横から見ると「O」のように見えるということですが、つまり大阪のOとメトロのMというわけですね。横から見る機会はないとは思いますが……。
メトロという呼び名、どのくらい浸透するでしょうね。一般的には「地下鉄」で十分だと思います。今は「市営地下鉄」と呼ぶ人も多いですが、車内放送等で頻繁に「大阪メトロをご利用いただきましてありがとうございます。」と流していれば、そのうち馴染んでくるかもしれませんね。ただ、東京では「メトロ」と呼ぶ人がそこそこいると思いますが、それは「都営地下鉄」と「東京メトロ」が別物だからという事情があるからであって、区別する必要のない大阪では地下鉄という言い方に落ち着きそうな気もしますが。
バスも民営化されることになるわけですが、メトロとは別会社なのが非常に気がかりです。乗り継ぎ割引が廃止されるようなことはないと思いますが、そもそも海外の諸都市では国電以外の地下鉄、バス、路面電車、トロリーバス等が共通運賃で利用できるのが当たり前。悪くも日本らしい形だとは思いますが、連携はどうなっていくのでしょうかね。
私が高校だった頃からバスは全体的に再編され、系統廃止や減便を伴ってきました。体質改善といったところでしょうか。本数が多少減っても分かりやすい系統、運行頻度であれば文句はないのですけどね。
まだ当面大阪に帰る予定はないですが、次に帰るときにはもう4月を過ぎてしまっているでしょうか……。ロゴは一夜にして貼り変えられてしまうのか?取り残されるのもあるとは思いますけどね。