3月末をもって間もなく廃線となるJR西日本・三江線。全駅訪問したので写真集の制作をしたいと思っていたのですが、資金が集まらず頓挫したと言っても良い状況です。せっかくですから、この場で紹介したいと思います。
三江線の中でも特に注目を集めている駅が、三江中線にある宇都井(うづい)です。地面から遥か上空に作られた高架線上にある駅で、廃止が決まる前からずっと有名な場所でした。このような駅になったのにはもちろん理由があります。
三江線は、北部が三江北線として江津~浜原、南部が三江南線として三次~口羽で開通しており、最終的に中線となる浜原~口羽の開業によって全通しました。北線は戦前から運行しており、全国にある多くの国鉄線と同じような設計で建設されました。南線は北線の設計に準じてはいますが、当初から貨物列車の運行がなく配線もそれに応じて簡略化されています。南線では蒸気機関車は使われず全て気動車での運転となったため、機回しの必要もありませんでした。ただ、先に開業した式敷駅は貨物輸送を行う可能性を見越していたのか、貨物ホームと側線のように見えるものが今も残っていました。
一方中線は、端から旅客列車のみの運行を想定しており、また鉄道建設公団が建設を請け負った区間のため、前後の区間と比べて線形が非常に良くなっています。北線、南線ともに江の川沿いを縫って走るように建設されたため曲線が多く、最高速度は65km/h、実際はこれよりも低い速度で走ることがほとんどです。中線はというと、山を迂回せずトンネルで突き抜け、また川の沿岸から離れて建設された場所も多く、カーブの少ない直線的な線形にされました。北線では木造の駅舎や待合室をもつ駅も多いですが、中線区間は全てコンクリート製の待合室にされています。
そしてこの宇都井駅。駅の前後は山に挟まれています。もちろん地平に駅を設置することもやろうと思えばできたでしょうし、時代がもっと早ければそうなっていたと思います。ですが、より高規格で線路を設計できるようになり、谷間を高架線で乗り越えることにされたのです。そしてその高架線上に駅も設置されたわけですが、通路は階段のみ。もちろんエレベーターなんてありません。利用者は116段の階段を上り下りしなければいけません。
外から見ると、団地のように見えます。コンクリート製ですし、エレベーターがないこともより”団地感”を際立たせています。過疎地の小さな無人駅にはトイレがないことも多いのですが、ここ宇都井には地平にトイレがあります。三江中線の各駅にはどの駅にもトイレがあります。待合室や階段の中には地元阿須那小学校の児童が製作したポスターが貼られていました。阿須那は、駅から歩いて1時間~1時間半程度のところにある集落で、宇都井駅からは最も近い小中学校があるところになります。
最近では、地域の方々によって様々な催しが開かれ、年末年始の年越しには臨時で車両が宇都井にまで持ち込まれ、駅にとめられた車内で年越しが行われました。その様子は、「ゆく年くる年」でも中継されました。駅ライトアップは前々から行われていましたし、最近では駅の近くで民泊がはじめられたようです。
あと4ヶ月足らずでこの駅も廃止となります。しかも悪いことに、雪のためこの区間は現在運休中。3月中にはどこかで運転が再開されるとは思っていますが、廃止直前だというのおかげで駅を訪問する人はあまり多くありません。再開すれば、連日多くの人が詰めかけることになるでしょう。
もちろん列車の本数は多くありません。私が訪れた際には、8:14発の三次行きで降り立ち、11:09発の石見川本行きに乗って去りました。3時間弱の滞在ですが、時間が足りないくらいの駅です。11:09発の列車が出るとそのあと17:37発まで列車が来ません。この間であればより駅を味わえると思います。どうしても訪問しやすい時間(7:12→8:14や17:37→18:09など)は多くの人が集中してしまうため、より待ち時間が長いときに訪問するのがおすすめです。とはいっても、自動車でやって来る人も多いのですがね……。3月のダイヤ改正から廃止までのわずか2週間ばかりの期間では、この列車が来ない昼間の空白の6時間に上下1往復の増発がなされます。ますますここを訪れる人が増えることでしょう。まさに、最期の花道といったところです。
ちなみに、この宇都井駅を含む区間、口羽~伊賀和志までの高架橋を保存すべく、地元の人が買い取りたいと資金を集められています。その額は1400万円とのことで、私の写真集50万円どころではありません。残すことができれば、軌道を走る自転車の体験運転なんかもできたりするといいですね。その暁には私もまた三江線沿線を訪れたいと思います。
三江線といえばどうしてもこの宇都井駅に注目がいってしまいますが、全駅降りてみるともっとおすすめの駅がたくさんあります。路線の廃止は決定してしまい、今から新たに行こうと思う人も急には増えないでしょうが、ここにこういう駅があったということを知る人が増えると嬉しいです。