初めて三江線に乗ったときのお話・前編

3月末で三江線が廃止になります。今、三江線全駅の写真集を制作すべくクラウドファンディングで資金を集めているのですが、なかなかうまくいかないですね……。

廃止が決まってから、全駅乗下車をするために訪れ(去年の7月)、所用で12月にもまた行ったのですが、路線自体はずっと前に乗っていました。それが、高校2年生になる直前、2010年の4月。大阪から2日の旅行で、広島まで出て三次から三江線へ、米子のマクドナルドで一泊して、次の日木次線と芸備線の備後落合~備中神代にも乗って大阪に帰るという行程でした。金がなくて(今もないですが)宿代なんてとても用意できず、マクドナルドやファミレスで泊まるということをよくやっていたのですが、もちろんそんなことはあまりしたくないので、たった1泊だけでどちらも本数の少ない三江・木次両線を乗れるという実に満足のいく行程でした(芸備線の備後落合~備中神代はそれよりも更に前に乗っていました)。上の写真はそのとき(2010年)のものになります。

ですが、実はこれは三江線に最初に乗ったときの話ではないのです。正確に言えば、乗ろうとした、途中まで乗りかけた、というか途中で降ろされて乗れなかったことがこれよりも前にあるのです。

それが2008年の12月31日、大晦日です。中学3年生の冬休みでした。普通なら受験の時期に何やってんだって言われそうなところですが、このとき内部進学がもう決まっていたので受験に関して特にどうということはなかったのですが。

とにかく青春18きっぷで旅をしまくっていた時期で、これよりも更に前の行程で2日前の12月29日にはムーンライトながらで横浜→国府津→御殿場線→沼津→富士→甲府→立川→青梅線と五日市線乗車という行程をやっており(このときにJR東海全線乗車を達成)、更にムーンライト信州に乗り、翌30日には白馬→大糸線→糸魚川→北陸本線を辿って大阪に帰る、という今思えばとにかく乗ることしかやってなかったんだなぁと思うぐらい乗っていました。大糸線はこのとき52形気動車が走っていましたね。白馬の駅のホームで雪を踏んでこけてしまい、右手の甲をけがしてしまって南小谷の駅で駅員さんに絆創膏をもらう、とかやってました。そのけがの痛みが翌日しみることになるとは。

31日、大阪の家に帰ってきたかと思いきや、すぐにまた始発で出発してしまいます。最近の年越しはもう家に籠っていることが多いのですが(コミケで疲れたりしますしね)、年越しの時期ってまさに鉄道旅行絶好調の日なんですよ。この2008年から2009年にかけての年越しで私が買ったきっぷ、それがなんと大晦日と元日の2日間限定でJR西日本が新幹線も含めて乗り放題(しかも指定席がとれる)という大盤振る舞いのきっぷでした。中学生のお子さまが気軽に買える特急乗り放題のきっぷなんて、毎年このときしか発売されないんですよ。今でも売っているには売っているんですが、大晦日は使えなくなって元日の1日だけになってしまいました。今年も売ってたんですよ。今はなくなりましたが、JR東日本も「元日パス」っていって1月1日に管内の列車全部乗り放題のきっぷを売っていました。東海も売ってましたけど、今も売ってましたっけ……?新春こだま&ワイドビューなんとかとかいうやつ。

で、そのきっぷを使って、どういう行程か具体的には忘れてしまったのですが、いきなり大阪から下関まで行きました。新下関で新幹線から乗り換えたのか、それとも新山口だったか厚狭だったか、あんまり覚えていません。ただ、下関には確実に行きました。というのも、下関で降りた117系の車内にデジタルカメラを忘れてしまったんです。

そのときの行程は、下関まで出て(経路は忘れましたが)日本海に回り江津から三江線へ、そしてこちらも未乗だった福塩線に乗り、福山から新幹線に乗って広島へ、広島で夜を過ごすという計画でした。広島には厳島神社がありますよね。大晦日だから終夜運転をやってるんです。だから宿をとる必要もなく、夜通し走る列車を使って宮島で夜を過ごすつもりでした(宮島フェリーも終夜運航やってます)。ところが、その計画は崩れ去ってしまいます。

江津に着き、忘れ物のカメラが届いていないか聞いてみたものの、残念なことに見つかりませんでした。写真は撮れませんでしたが、いよいよ念願の三江線乗車です。乗客は、自分以外にはたった3人でした。そして、川平駅を過ぎて次は川戸というところ。この区間は駅間距離が6.9kmもあり、三江線の中で駅同士がもっとも離れているところです。速度もほとんど出さず、いわゆる必殺徐行で15km/hくらいでのろのろ走ることもあります。乗っている人もほとんどいないので、車内をうろうろ歩いて運転の様子を見ていました。今にも止まってしまいそうな速度です。そして漂う不穏な気配。本当に止まってしまうことになるとは。

冬場、三江線の沿線には雪が積もります。このときは別に積雪が激しかったわけではないのですが、線路周辺は真っ白になっています。そして、あろうことか、沿線に生えている竹が雪の重みで垂れ下がり、線路の邪魔をしていたのです。倒れていたわけではありませんが、完全に行く手を遮ってしまっていました。それで、車両の力で押して進んでみようとするものの、何度やっても力及ばず、ついに通ることはできなかったのです。運転士の人も、こんなことは初めてだと言っていました。家に帰ってからこのときの運行情報をインターネットで見たのですが、運休になったのになにも書かれていませんでした。その後この「倒竹」という現象は公式で使われるようになり、今では運行情報にときどき登場するようになりました。本当にそのときが初めてだったのかな?とは疑問に思うのですが、確かにそれまではそんな理由で三江線の列車がとまったということは聞いたことがありませんでした。もしかすると、線路整備にあまりお金をかけなくなり始めた時期だったのかもしれないですね。そのときはなかったのですが、去年訪問した際には各駅に「運休時の代行バスののりばと放送での案内について」という貼り紙がありました。あまりによく止まるようになったので、止まる前提で案内することにしたのかもしれません。

ともかく、こんな珍現象に遭遇してしまい、どうしたものかと思っていたところ、やはり代行が手配されることになりました。それも、バスじゃなくてタクシーです。たった3人ですからね。このあたりにはまともな道はなかったと思うんですが、なんとかタクシーを横付けできるところまで引き返して、駅でも何でもないただの途中の線路で列車を降りました。今までの鉄道旅行人生で、駅間で降りたのはこのときしかありません。あたりはもう真っ暗な中、少々不気味に崩れかけた廃屋が建っていました。

そして、心をよぎる一つの不安。「無事に広島に辿り着けるのだろうか・・・・・?」

つづく

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